のんびり気の向くままに 日々の出来事、気になることなどを書き綴っています。※ドリコムブログから引越ししました。

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みんな幸せになろうね・・・(2)

人は もっとも適した環境や境遇を選んで生まれ変わり、やり残したことや後悔したことに 再び チャレンジをしているのかもしれません。

そういう意味でも 今生、私が主婦という立場を選んだことは まさに過去にできなかったことをするためだと分かります。

そして 伊勢白山道さんも言っていますが 再び この地球上に生まれてくることは 高価なチケットを手に入れるのと同じくらい大変で価値のあることなのかもしれません。

しかし、自分で再び生まれることを望んだにも関わらず 苦しみを抱える人が どれほどたくさんいることか・・・

これは 以前の私も同じでした。

このブログを始めたことも それがきっかけです。

「どうしたら幸せになれるのか」

それが知りたくて このブログを書きながら探してきました。

そして たどり着いたのは やはり「感謝する」ということでした。

日常生活の中にある ささやかなことに感謝することができれば 心は幸せになることができる。

「ありがとう」という言葉には 不思議な力があることを お米を使った実験をしてみて分かりました。

(もしよろしければ こちらの記事を読んで下さい⇒ 「言葉の力〜言霊」

でも「感謝する」ということは 口で言うことは簡単ですが 継続することはなかなか難しいのです。

ご飯が食べられる、暖かい布団に寝られる、歩ける・・・

このようなことは感謝すべきことですが それが当たり前になってしまい いつの間にか感謝することを忘れてしまいます。

日常全てのことに いつも感謝の気持ちを持って暮らされている方は それでいいのですが 私のように 継続ができない人間は どうしたらよいのか・・・

ある方が提唱されていた「ありがとうございます」を何度も言うというのがありました。
私もマネをして 何度も言ってみたことがありますが やっぱり続きません。

これは 心からの感謝ではなく、自分にラッキーなことが起きてほしいという気持ちしかないから継続しなかったのです。

このように色々試してみましたが 今までやってみて 一番継続でき しかも、本当に感謝の気持ちが湧いてくるのは 先祖に対する感謝(先祖供養)でした。

実は 20代の頃、仕事も私生活もうまくいかず 苦しくて仕方がなかった時期があります。

その頃は 先祖供養の大切さなど全く知らず また先祖供養をしているという意識も無かったのですが 毎晩 寝る前に心の中で 先祖に向けて「今日一日 無事に過ごせたこと」に感謝の言葉を言っていました。

すると まもなく不思議なくらい事態が好転していきました。

できの悪い子供でも なんとかしてやりたいという先祖の親心だったのでは・・・と思っています。

人は輪廻転生を繰り返している・・・ということは 人間は肉体だけの存在ではないのかもしれません。

そう考えると 肉体は無くても いつも見守っていたり 救いを求めたりしている先祖霊や縁のある霊は存在し 私たちに少なからず影響を与えているのかもしれません・・・

「先祖供養」と言うと 非常に宗教的で古臭く感じられる方もいると思いますが 自分のご先祖に感謝の気持ちを捧げるということは ごくごく当たり前のことだというのが 最近 やっと分かりました。

私は 伊勢白山道さん のブログを参考にさせて頂き 毎日 先祖や縁ある方に感謝の気持ちでお線香を手向けていますが とても心が落ち着きます。

また 喜びが湧きあがってくることもあります。

でも、ここで肝心なのは けっしてお願い事をしないということです。

手を合わせると ついついお願いしたくなりますが ただただ 「生かして頂いてありがとうございます」と言うだけです。

時には 感謝の気持ちが湧かない日や悲しい気持ちのする日もありますが それでも淡々と先祖や縁ある霊に感謝をすることは もう日常生活の中の一部になっています。

そして、先祖供養を始めてから 「何か大きな存在に守られている」「この流れに乗っていけばいいのだ」という気持ちになれました。
これは 今までなんとかしようとジタバタし続けてきた私にとって とてもラクで幸せなことです。

まだまだ 悟りというには程遠い私ですが 毎日 感謝して人生のジェットコースターを最後まで楽しみたいと思っています。

そして 最後に「世界中の人々が幸せになりますように」と心から願いつつ このブログを書くことも これで最後にしたいと思います。

長い文章を読んでくださって どうもありがとうございました。

みんな幸せになろうね


海から雲と化して舞い上がり、雨となって落下し
ながれとなって後、海に舞い戻る水のように
御身より生まれ出し魂は 再び御身の内へ還る
源へ還る水を妨げることができぬのならば
どうして御身との合一を妨げることができようか
その道が どれほど多くの渦により、曲がりくねっていたとしても

地上から天高く舞い上がり
空の上で翼を休めることなく地上に戻る鳥のように
全てのものは、その道を還る
そして、その源へと還る道を見出した魂は
御身の内に沈み溶け込むだろう
ああ、アルナーチャラ、至福の大海よ!






みんな幸せになろうね・・・(1)

雪が積り もう山や森などを歩くことができない季節になってきました。

裏の森も好きなのですが 札幌近郊の野幌森林公園へも時々出かけます。

ここでは 3キロ〜6キロほどの散策コースがいくつかあり その時の気分と体力で 色々な散策コースから自然の中の散歩を楽しむことができます。

鳥はもちろんのこと たまにエゾリスに出会うこともできます。

最後に ここに行ったのは まだ雪が降る前の11月でした。

自然の中に入ると 落葉樹は ほとんどの葉を落とし 幹と枝だけになった木々は どこか寒々しく 晩秋を感じました。

上り坂を歩いていくと 道の下の方に 葉を落とした細い幹の木々が立っている平原が見えました。
木々の下の地面は 茶色い落ち葉がまるで絨毯のようです。

こんな風景を見る度に 何とも言いようのない「懐かしさ」がこみ上げてくるのです。

この話は 以前も書きましたので よろしければ こちらもどうぞ⇒いつか行ってみたい場所・・・

これは 多分 自分の過去生と関係のあった場所に似ている景色なのです。

「本当に過去生なのか」と言われると 自信はないのですが 現実では行ったことがない場所や会ったことがない人の映像を何度か見たことがあります。

この森の中の光景は子供の頃から よく見ていたものでしたが 多分 この時の景色だと思ったのが 次の映像です。

自分の足元を見ると 白いゲートルを巻き 白い足袋にわらじを履いています。

頭には笠をかぶり 白装束を着て 肩からやはり白い布で作った袋をさげています。

白装束の恰好をしたお坊さんの姿が見えます。

また、964だったか・・・そんな数字も見えました。

あとで気になって 964年頃とは どんな時代だったのか調べてみたところ 日本では平安時代でした。

当時は 奈良時代の山岳修行者である役小角(えんのおづぬ)を開祖し始まった修験道の行者が 数多くいた時代でもあったそうです。

昔は職業の種類も少なく お坊さんになる人は多くいたようです。

森の中、枯葉をふむ自分の足元を見ながら黙々と歩いていると ずっと昔もこうして歩いていた・・という懐かしさがいつも湧きあがってきます。

何をすき好んで 寒い中 山道を歩く修行なんてやっていたんだろうと 今は絶対に考えられないことですが・・・

もうひとつ やはり前に書きましたが フランスで女性だった時代の映像から 聖母マリアを信仰する修道女が見えてきたことがあります。

これが自分だったのか・・・多分 そうだと思っているのですが 貧しい家に生まれたので修道院に預けられたようです。

あとで調べてみましたら フランスでは孤児院が併設されている修道院が多いようです。

ちなみに あの有名なデザイナーのココ・シャネルも修道院の孤児院で育ったとか・・・ 

また このように宗教に関係する過去生だけではなく 武器を持って戦った過去生もあります。

小学校の給食時間 金属の食器類がカチャカチャとふれあう音を聞くと 自分の目の中に尖った金属が入ってくるような気がして いつも目をつぶり逃げたくなりました。

それは つい最近までそうでしたが あとで分かったことは 戦いで左目に槍か弓矢のようなものが刺さったからでした。

さて、このように男になったり女になったり また 様々な国に生まれ その時の影響を少なからず受けて 今 存在している自分・・・

輪廻転生はある・・・そう確信した時、人は 誕生、生、死を果てしなく繰り返し 永遠に この輪廻転生の循環の中からでられないのかと思うと、正直 愕然としました。
(なんだか 疲れた・・・という気分でしょうか)

だから 人は前世の記憶を無くして生まれてくるのかもしれませんね。

でも そのうち 今の自分のポジションは 自分が望んだものだったということもわかり始めました。

その時代、前世で望んでいたけれどできなかったこと、後悔していることを もう一度やるために チャンスを与えられて 今また 生まれて来ているのだということ・・・

伊勢白山道」さんの本にこのような言葉が載っていました。

以下 転載させて頂きます。

今、人生が苦しい?良いではないですか。

高価な切符をやっと手に入れて乗り込んだ、人生という名のジェットコースターです。

すぐに終わります。

今、動いている最中に飛び降りると、せっかくの貴重な魂の旅が終わってしまいます。

最後まで上へ下へとスリルを楽しまなければ損をします。

スリルが大きいほど、終着駅にたどり着いた時に、再度また乗りたくなるものです。



人生80年あまり。

平均寿命まで生きるとしても 私の場合、半分はとうに過ぎてしまいました。

本当にあっという間です。

前世で後悔したことややり残したことを 今一生懸命やり 「あ〜楽しかった」と満足して ジェットコースターを降りたいと思っています。


野良猫・・・

しばらく記事の更新をせず 気が付けば こんなに日が経っていました。

最近は 本当に時間が経つのが早く感じられます。

さて ブログを書いていなかった間、色々と考えさせられた小さな事件がありました。

ある晩、塾から帰ってきた息子が「猫がいた。とても人懐っこくて可愛いんだ」と教えてくれました。

(私も2度ほど路上で見かけましたが 三毛猫のような模様の可愛い猫です。)

それからも 毎晩のように塾の近くに現れるそうでしたが 少しずつ体の汚れが目立つようになり、それが飼い猫ではなく どうやら野良猫らしいと分かりました。

札幌は 連日氷点下の気温が続き 猫も寒そうに震えているそうです。

その話を聞き 本当にかわいそうだと思いました。

「こんな過酷な環境では生きていけないのではないだろうか・・・」

そう思いましたが やはり家では猫を飼ってあげることはできません。

そこで、野良猫を保護して里親を探す活動をされている方に問い合わせをしてみました。

今まで知らなかったことですが そういった活動をされている方は 里親が見つかるまでの間 そして 引き取り手が見つからなかった猫たちを 何十匹も自宅で世話をして飼っているのですね。

病院での治療費も すべて自腹で払っているそうです。

そのお話を聞き「もう保護はしていません」というお返事にも納得ができました。

ところで 驚いたことに 野良猫ちゃんはこの一匹だけではなかったことを あとで近所の人から聞きました。

少し離れた所にある廃車置き場に30匹ほどの野良猫が住みついているというのです。

時々、餌を与えている人がいるそうで 子猫も産むのですが この辺りはカラスやキタキツネがいて自然淘汰されるのか ずっと30匹くらいの数を保っているのだそうです。

この寒さの中、生きていくのは大変だろうと思います。

こんなにたくさんの不幸な猫をつくってしまったのは 元はと言えば 飼えなくなったからと言って猫を捨てた人間のせいです。

やむにやまれぬ理由もあるでしょうが 離婚したから、子供が生まれるから、猫が子供を産んだから・・・などと言った理由から捨てる人も多いと聞きました。

私は猫を飼ったことがないのですが 小鳥でさえ家族同様に愛情が湧くのに ましてや飼っていた猫を捨てるなんて 信じられない気持ちです。

ところで 12月17日付の北海道新聞に猫と触れ合いながらお茶が飲める帯広の「猫カフェ」が一周年を迎えたという記事が載っていました。

店の名前は「キャットカフェWish

「キャットカフェwish」は 野良猫や捨て猫を店に集めて里親探しもしている全国でも珍しいカフェです。

「まず 弱っている猫を救いたい」という店長さんの意向から病気の猫も多くいるそうです。

そして ここから 新しい飼い主さんに引き取られた猫は 今まで124匹にのぼるそうです。

保健所に収容された猫が殺処分されず 譲渡される割合は全国平均わずか3パーセントです。

北海道は 登録者に好みの猫が収容されたら連絡する「新しい飼い主探しネットワーク事業」があり 全国平均を上回ってはいるものの 譲渡の割合は15パーセントだそうです。

そして 帯広は「キャットカフェwish」の取り組みがあって40パーセントになっています。

「キャットカフェwish」のような店が全国にできてくれたら・・・

いえ、その前に一度飼った動物の飼育を 絶対に放棄しないことが一番大切ですね。

もしも犬や猫を迎えたいと考えられている方がいらっしゃれば 近隣の保険所やネット上で募集している里親で 探してみてはいかがでしょうか。

今回は 一匹の野良猫から 無責任な人間と命を救いたいと一生懸命活動されている人たちのことを知ることができました。

 



 



気功体験・・・(2)

「気」とは体の中を循環しているエネルギーのようなもので ヒンドゥー教でいう「プラーナ」、科学者たちは「バイオプラズマ」と呼び 一般的には「オーラ」と呼ばれているものです。

つまり 私の指先や鏡に映った上半身から出ているものも「気」だということです。

「気」は人間だけではなく 動物や植物 そして鉱物や なんと紙類などからも出ているそうです。

とりあえず ここでは 人の「気」についての話ですが 中国医学では、気の流れが滞ることを「気滞」と言うそうです。

頭に気が滞ると、頭が重くなり のどに気が滞ると、食物を飲み込むときに、のどがつかえる感じになり  また 胸に気が滞ると、胸苦しく、せきこんだりすることがあります。

気の流れが滞ると、自律神経系がバランスを崩し、さまざまな警戒信号を送ってくるそうです。

さて、教室では 自分の体の中の「気」がスムーズに流れるようにする練習をしました。

まず、両手をぶらぶら振ってから 丹田を意識した腹式呼吸をしばらく続けます。

すると 手の平が びりびりしてきて そのうちに温かくなってきます。

そして しだいに足先までも温かくなり 両手、両足の血行がよくなり 見た目もピンク色に変わってきます。

特に運動などしていないのに、呼吸だけで このように血流が良くなることにはびっくりでした!

面白かったのは 周囲から気を集めてくる練習です。

見えない雪玉を手に持っているかのように 両手を少し離して合わせ 気を集めてくるにしたがって その雪玉を大きくしていきます。

すると 本当にふわっと温かい 軽く押すと押し返してくるような そんな見えないボールができるのです。

他の人の作ったボールの中に手を入れてみると やっぱり温かく感じるのですね。

教室の1回目、2回目は このように気を感じたり 自分の中でスムーズに流れるようにする練習でしたが 3回目は いよいよ他の人の気が滞っている場所の流れをよくしてあげる練習でした。

自分の手に気を集め その手を他人の体に当てているだけなのですが 当ててもらっている方は ほかほかと温かくなってきて とても気持ちがよいのです。

まさしく「手当」なのだと思いました。

そこで、さっそく家でも試してみることにしました。

肩こりのある夫が 「今日は特に凝っている」と言った日、 しばらく手を当ててあげました。

「気のせいか 気持ちはいいような・・・」
(こういうものは あまり信じていない夫の精一杯の感想・・・) 

ところが・・・

「楽になってきたような気がする」
そう言うので 置いていた手を離したところ 突然 私の手に じわじわとした痛みとだるさを感じました。

「どうしたのだろう?」と思っていると それがどんどん上にあがってきます。

あっという間に その痛みとだるさは肩まで来てしまいました。

もう腕を切り離してしまいたいほどの辛さです。

人へ気功をした後にする自分のケアを聞いていたので それをやってみるのですが 全く効果がなく 翌日も その痛みとだるさが取れませんでした。

先生にそれを言うと 私は人の気を受けやすいそうで また 特に家族など大切な人には「治してあげたい」という気持ちが入ってしまうので 余計 その人の悪い気を貰ってしまうのだそうです。

人にやってあげるときには 自分が治すのではなく 気を流す道具になったつもりで 世間話などしながら また 鼻歌など唄って気楽にやるくらいがちょうどよいそうです。

でも、家族や親しい間柄でなら お互いに気で手当をすることは スキンシップとコミュニケーションに とてもよい手段かもしれません。

とりあえず あの辛さはもう二度とゴメンなので 気功で夫の肩コリのケアはやめようと思います。

今度は 普通の肩もみくらいで・・・


気功体験・・・(1)

ずっと興味があった「気功」を体験してきました。

気功とヨガの違いさえもよく分からない私ですが・・・

気功を習ってみたいと思ったのは 自分の指先から湯気のようなものがしゅーっと出ていたり 鏡に映った自分の上半身から30センチくらいの幅で明るい光のようなものが出ているのが見えたりしていたので これが いわゆる「オーラ」というもので さらには「気」ともいうものなのか知りたかったからです。

さて、教えていただいた気功の先生は30代の物腰柔らかな男性でした。
武術、ヨガそして気功と勉強してきたそうです。

「ブルースリーのような黒の上下服が なんだか気功師っぽいじゃないの・・・」などと思いながら 指先からでているものが何なのか ぜひ この先生に聞いてみたいと思い ワクワクしながら参加しました。

生徒は定年後の趣味を求めてきたというおじさんが2名、あとは 私と同じおばさん主婦たちの合計15名ほど・・・

ずっと続けていくクラスではなく 5回ほどのクラスで 健康に役立てる為の気功という教室です。

その為 一回ごとに 自分の健康のための気功、家族の健康のための気功など 日常生活に活用できそうな内容になっていました。

最初の授業は 「自然体」についてでした。

「自然体」でいるということは しっかりと「気」がお腹(丹田)に納まっている状態をいうそうです。

この状態を作るのは やはり呼吸でした。

腹式呼吸で 丹田を意識するのです。

腹式呼吸を何度かした後に お腹(丹田)を軽くぽんぽんと叩くだけで 肩の力が抜け「自然体」になることができます。

自然体になると 足がぴったりと地面に吸いつき 他の人が 足を持ち上げようとしても 不思議なくらい持ち上がりません。

これは 訓練を積むと 他の事を考えても「自然体」のまま 立っていることができるようになるそうですし 精神面でも多少の物事には動じなくなっていくそうです。

一分もあればどこでもできることなので 気が付いた時に 腹式呼吸と「お腹ぽんぽん」をやるようにするといいそうです。

ところで 先生のお話の中で 面白かったのは 歩く時には普通 前に出る足と手は左右が別々ですが 同じ足と手をだすと疲れないということです。

東海道五十三次の絵で歩いている人や佐○急便の旧マークの飛脚は 同じ足と手を出しているそうですよ。

昔の日本人は 同じ方の手足を出して歩いていたそうで、足と手を別々に出して歩くということが広まったのは 江戸時代後期。 西洋からの影響だそうです。

そして それは 歩くことで筋肉をつけるという意味では良い方法なのだそうですが 疲れないように歩くには やはり同じ方の手足を出すことが良いそうです。

・・・で 気功とは あまり関係はないようでしたが 同じ方向の手足を出して歩く練習などもやりました。

あまり大きく手をふるとロボットみたいになるので 太ももに軽く手を当てたままで歩くと 自然に前に出した足と同じ方の手が前にでるのですね。

そういえば、時代劇でお城の中を太ももに手を当てるようにして歩く武士の姿を見たことがありますが ちょうどあんな感じになります・・・

また 落ちているものを拾う時、何か仕事をするときも どちらかの足を少し前に出し、同じ方の手で拾ったり作業をしたりすると 体に負担がかからず楽にできるそうです。

これは 私も家で試してみましたが 確かに 楽な気がします。

初めての気功体験は とても楽しいものでしたが 非常に辛い目に遭ってしまった出来事もありました。
そのお話は また後日・・・

sagawalogos.jpg

佐○急便の旧マーク。

お〜 確かに同じ手足が前に出てました!




プロフィール

ミーロ☆

Author:ミーロ☆
北海道在住の主婦。
オカメインコと窓から見える森に 日々癒されています・・・

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