
雪が積り もう山や森などを歩くことができない季節になってきました。
裏の森も好きなのですが 札幌近郊の
野幌森林公園へも時々出かけます。
ここでは 3キロ〜6キロほどの散策コースがいくつかあり その時の気分と体力で 色々な散策コースから自然の中の散歩を楽しむことができます。
鳥はもちろんのこと たまにエゾリスに出会うこともできます。
最後に ここに行ったのは まだ雪が降る前の11月でした。
自然の中に入ると 落葉樹は ほとんどの葉を落とし 幹と枝だけになった木々は どこか寒々しく 晩秋を感じました。
上り坂を歩いていくと 道の下の方に 葉を落とした細い幹の木々が立っている平原が見えました。
木々の下の地面は 茶色い落ち葉がまるで絨毯のようです。
こんな風景を見る度に 何とも言いようのない「懐かしさ」がこみ上げてくるのです。
この話は 以前も書きましたので よろしければ こちらもどうぞ⇒
いつか行ってみたい場所・・・これは 多分 自分の過去生と関係のあった場所に似ている景色なのです。
「本当に過去生なのか」と言われると 自信はないのですが 現実では行ったことがない場所や会ったことがない人の映像を何度か見たことがあります。
この森の中の光景は子供の頃から よく見ていたものでしたが 多分 この時の景色だと思ったのが 次の映像です。
自分の足元を見ると 白いゲートルを巻き 白い足袋にわらじを履いています。
頭には笠をかぶり 白装束を着て 肩からやはり白い布で作った袋をさげています。
白装束の恰好をしたお坊さんの姿が見えます。
また、964だったか・・・そんな数字も見えました。
あとで気になって 964年頃とは どんな時代だったのか調べてみたところ 日本では平安時代でした。
当時は 奈良時代の山岳修行者である役小角(えんのおづぬ)を開祖し始まった修験道の行者が 数多くいた時代でもあったそうです。
昔は職業の種類も少なく お坊さんになる人は多くいたようです。
森の中、枯葉をふむ自分の足元を見ながら黙々と歩いていると ずっと昔もこうして歩いていた・・という懐かしさがいつも湧きあがってきます。
何をすき好んで 寒い中 山道を歩く修行なんてやっていたんだろうと 今は絶対に考えられないことですが・・・
もうひとつ やはり前に書きましたが フランスで女性だった時代の映像から 聖母マリアを信仰する修道女が見えてきたことがあります。
これが自分だったのか・・・多分 そうだと思っているのですが 貧しい家に生まれたので修道院に預けられたようです。
あとで調べてみましたら フランスでは孤児院が併設されている修道院が多いようです。
ちなみに あの有名なデザイナーのココ・シャネルも修道院の孤児院で育ったとか・・・
また このように宗教に関係する過去生だけではなく 武器を持って戦った過去生もあります。
小学校の給食時間 金属の食器類がカチャカチャとふれあう音を聞くと 自分の目の中に尖った金属が入ってくるような気がして いつも目をつぶり逃げたくなりました。
それは つい最近までそうでしたが あとで分かったことは 戦いで左目に槍か弓矢のようなものが刺さったからでした。
さて、このように男になったり女になったり また 様々な国に生まれ その時の影響を少なからず受けて 今 存在している自分・・・
輪廻転生はある・・・そう確信した時、人は 誕生、生、死を果てしなく繰り返し 永遠に この輪廻転生の循環の中からでられないのかと思うと、正直 愕然としました。
(なんだか 疲れた・・・という気分でしょうか)
だから 人は前世の記憶を無くして生まれてくるのかもしれませんね。
でも そのうち 今の自分のポジションは 自分が望んだものだったということもわかり始めました。
その時代、前世で望んでいたけれどできなかったこと、後悔していることを もう一度やるために チャンスを与えられて 今また 生まれて来ているのだということ・・・
「
伊勢白山道」さんの本にこのような言葉が載っていました。
以下 転載させて頂きます。
今、人生が苦しい?良いではないですか。
高価な切符をやっと手に入れて乗り込んだ、人生という名のジェットコースターです。
すぐに終わります。
今、動いている最中に飛び降りると、せっかくの貴重な魂の旅が終わってしまいます。
最後まで上へ下へとスリルを楽しまなければ損をします。
スリルが大きいほど、終着駅にたどり着いた時に、再度また乗りたくなるものです。人生80年あまり。
平均寿命まで生きるとしても 私の場合、半分はとうに過ぎてしまいました。
本当にあっという間です。
前世で後悔したことややり残したことを 今一生懸命やり 「あ〜楽しかった」と満足して ジェットコースターを降りたいと思っています。